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メッセージの行方

o-wa Room Monthly Schedule誌上で新たにスタートした
毎号引き継ぎでライターが変わるリレー式のコラム。
第4回はo-wa Room第4金曜のtalkin’LoudことDJ Yotch!

音楽の周りにはあらゆるメッセージで満ちている。
メッセージには2つのタイプに分類される。
一つは歌詞によるもの。
多くの若輩モノ同様、ぼくも世界平和や人種差別、人権問題などプラカード的なメッセージを真剣に考えた時期があったし、昭和のノスタルジー、ラブ&ピース、マ○ファナ解放など古本屋で出会った知識とレコ屋で見つけた音楽で広く浅く思想家の気分で青春を過ごした。
でもこのメッセージたちは今の僕にはほとんど意味を持たない。
自分の生活にこそ本当の刺激があると知ってしまったからだ。

一方、言葉以外で発せられるメッセージはいまだに色あせていない。
ルー・リードの”Walk on the wild side”。
DJを始めた20歳くらいからずっとかけてる曲だけど、今が一番好きだ。
ドラムとベースが夜の孤独と予感めいた何かをシンプルかつ雰囲気たっぷりにかなでて、スキャットのコーラスは頼りない男のプライドを支え、どうにかなるさ的な希望を与えてくれる。
寂しさが僕に近づき、不安に負けそうなその瞬間、心で勝手に鳴り響く応援歌。「大丈夫。そのまま前へ進め!」サンキュー、ルーリード(あるいはルーリー)!
まさにアンセム!!

ジェームス・ブラウン、JB’sの演奏が最高なのは緊張感があるからだ。
完璧なグルーヴを生み出すためにたった一音のミスも許さず、長時間リフを繰り返すことで僕らの腰とシンクロし、緊張と期待が最高潮に高まったところでJBは満を持してシャウトを響かせる!緊張と解放。
カタルシスを感じ、すぐさま2ラウンドへ突入!この様式美が黄金律!!
もしポップスが誰もが楽しめるように優しく作られていると言えるならば、JBは真逆だ。JBはマヨネーズでごまかさない。塩とコショウで勝負する。
言い訳はしない。甘やかさない。自分の野心も虚勢も隠さない。
リハーサルから全力汗だく(これはE.YAZAWAも同じ)。
彼は誰も真似できない領域にはるか昔にたどり着き、死ぬ直前まで継続し続けた。
その作法から僕らは重要なメッセージをいくつも受け取ることができた。

とりとめもないが、音楽の解釈に正解はないから、メッセージに限りはない。
だから第4金曜のぼくはしゃべっている。そういう訳です。
(TEXT BY Yotch)

2011/12/07 [水] | 19:20 | Relay Column

マシンの鳴り方

o-wa Room Monthly Schedule誌上で新たにスタートした
毎号引き継ぎでライターが変わるリレー式のコラム。
第3回はLEVEL-5の人気テクノイベント InSpiritのオーガナイザー/DJ、 HATO!

 遡ること100年近く前、シンセサイザーが楽器的に姿を現して以降、世界中で様々な変遷を経て電子音楽は飛躍的な進歩を遂げ現在に至る。その影響はごくコアな実験的分野から昨今の大衆音楽にまでくまなく行き渡っており、更にその進化を未だ止めていない。
 テクノロジーの進歩とは恐ろしいもので、今や音楽を構成する「音色」「リズム」これらはほぼ機械的に合成可能といっていいと思う。更に、その行程は日々簡易化され、かつ様々な選択肢を増やしてゆく。
 プログラミングによりシーケンスされた音楽は、常人には演奏不可能な複雑な楽曲の演奏を可能にしたり、一分のズレもなく同じフレーズを延々リピートしたり、場合によっては人間っぽいブレすらも再現する。それ自体の賛否はものすごく分かれると思うけれど、手間ひま惜しまなければ実際何の楽器も演奏出来なくてもコンピュータであらゆる楽器の音色をあやつれてしまう。完成されたイメージ上でタクトを振れば、イメージ通りのオケを鳴らすことができるわけだ。
 一口に打ち込みというと、それ自体をすごく無機質なものだとイメージされる場合も少なくないんじゃないかと思う。そのイメージそのものは間違ってはいないと思う反面、進化によって崩れ行くものであるとも感じる。
 多様な表現を手に入れたマシンは、着実に人の奏でる抑揚に近づいてきている。それはつまり、打ち込みというそれが、その技法だけをさして無機質だというのを許してくれなくなるということだ。弦を爪弾くように、鍵盤を撫でるように…。「打ち込み」という楽器が演奏者の表現力を受け止め、形になってゆく。
譜面と波形の中の一音ゝゝに、作り手の感情をより鮮やかに表すことができる。
結局のところ、音楽をつくるのも、それを聴くのも僕たちの感性を通してなのだ。
 一聴して無機質に聞こえがちでも、数ある選択肢の中から有機的な試行錯誤の末にたどり着いた形であるからこそ誰かの心の琴線に触れるんだろうし、そうであって欲しいと思う。単調なマシンビートも、それを操る人間の表現力を通じてまるで生き物の様に姿を変える事もある。
 今やあらゆるところに紛れ込んでいるマシンの鳴り方。
もしそれを理屈抜きにかっこいいと感じるならそれは、機械的な音の向こう側にいる、人によるものだと意識してみたらまた聞こえ方が変わったりしないだろうか?
(TEXT BY HATO/InSpirit)

2011/09/20 [火] | 23:43 | Relay Column

ジャズのある姿勢

o-wa Room Monthly Schedule誌上で新たにスタートした
毎号引き継ぎでライターが変わるリレー式のコラム。
第2回はFM桐生のディレクターOVO-Dこと小保方貴之!

「ジャズ」の印象は?
彼女は「おじさんの聴くもの。難しそう。取っ付きにくい」と答えた。
ーなるほど。
確かにさぁ「おじさんが聴いて、難しそうな、取っ付きにくそうな音楽って何?」って聴かれれば「ジャズ」と答えるだろうけど。
 ジャズと呼ばれる音楽が生まれたのは1900年代初期。黒人から生まれた音楽。人が集まり、音楽が流れ、皆が踊る。クラシックからジャズに転向するミュージシャンも少なくなく、白人がその世界に入ることには相当の反対があったとか。で、そのジャズの初期を端的に言えば、ストリートから生まれた黒人のダンスミュージックだった。
 僕のジャズの入り口はJames Blood Ulmerの「Free Lancing」というアルバムだ。稲毛海岸の巨大団地の駐車場に捨てられていたレコードの中から、この一枚を拾い上げるあたりの自分のセンスへの賞賛はさておき、そのレコードにライナーを寄せていたのが評論家の青木和富だった。
 ここから僕のジャズの旅が始まる。彼がライナーで紹介するミュージシャンはどれも王道からは外れたミュージシャン。オーネットコールマン、アルバートアイラー、ファラオサンダースから、イーノ先生プロデュースのNO NEW YORKに登場したコントーションズまで。彼らは団塊世代に「ジャズ聴きます」って言って口にだすと「そんなのジャズじゃねぇ」と言われるミュージシャンばかり。
 だけど、そもそもジャズってのは、生まれた時は最先端のダンス音楽だったし、その後派生して多様なスタイルが生まれてきたことが示しているように、ありとあらゆる要素を巧みに取り入れることができる音楽スタイルなのだ。そして、一方ではスピリチュアルジャズのように、オリジナリティの追求が同時に出来るのは、ベーシックとなる音楽的な要素がそこにあるからではないか。
だから、マイルスは時代の音楽性を色濃く反映した音楽を生み出せたし、コルトレーンは黒人の故郷を音楽で目指せたけど、両者の音楽はいつだってジャズだった。
 つまりは、先のおじさんたちの方がよほど「ジャズじゃねぇ」わけで、変化を受け入れ、多様性を受け入れ、それらを認めることがジャズの本質であり、ジャズを愛するものの姿勢ではないだろうか。
 ウィンスロップ・サージェントは、ジャズについて「宗教的畏敬、悲劇、懐郷の情、形而上学的瞑想、威容、驚異、愛国心、人道的熱情、が感情に含まれていない」としている。私なりの解釈で言えば、寛容で自由。
 そんなことを彼女に一生懸命説明してみようとして気づくのだが、この一生懸命説得する感じがどうにもジャジーでない。
だから口にする寸前で止めてー
「そうだよね」
とだけ答えたのだった。
(TEXT BY 小保方 貴之/bless.)

2011/06/08 [水] | 15:08 | Relay Column

ロックのない場所

o-wa Room Monthly Schedule誌上で新たにスタートした
毎号引き継ぎでライターが変わるリレー式のコラム。
第1回は北関東のネオアコ番長こと高田博之氏!

M「あきスペースあるんで、ロックの話とか・・・」
T「あー、わかった。いいよねーそういうの。」
M「なにがいいんすか?」
T「ロックってこの辺じゃかなり認知されてるし、僕らみたいな少数派ネオアコ  とは違うし・・・」
M「また、その話ですか・・・」
T「でも、そうだよ、ほんとの話。ロックとネオアコは別物。」
M「えー、そうなんすか?」
 こんな会話を始めて、はや20年。時の経つのは早いものだ。でもその20年前から確実に変わったものと、変わってないものがある。
 変わったものは、音楽との関わり方、ソフトとハードの関係。アナログレコードからCDに変わり、CDからデータ・ダウンロードへと変化。その流れからCDは売れなくなり、ショップも軒並み閉店。DJ文化もそう。アナログ中心から、CD中心へ。ショップを渡り歩くことから、ネットでデータを拾い集める時代に。何が良くて、何が悪いなんて語っても全く意味しない。かつて「渋谷系の聖地」とまで言われたHMV渋谷店が今年夏閉店した。このこともそういうことと全てがリンクしている。売れなくなれば、売る店は無くなる、それが自然の摂理。
 そんな中で、変わらないものっていったら、音楽そのものとの関わり方。
20年前より確実に大規模フェスは多くなり、需要は増えている気がする。CDソフトは売れなくなったかわりに、気軽にダウンロードして楽しみやすくなってきている。その反面、価値観の希薄な関わり方がゆえ、変化すること自体がとてつもなく早いし、良いものが必ずしも残れる時代でもない。根底には売れるとか売りたいとかってことがあったとしても、それだけじゃない流れが確実に押し寄せてきている。メジャーとかインディーとかっていう垣根が見えにくくなったのも、そのことを反映しているのだろうな。もっともそれほど意味あることじゃなかったとは思うけど。
 僕達が20年前に夢見た「ロックのある理想郷」は、ロックがロックである必要性を否定することで、本質そのもののロックへ進化している気がする。形にとらわれない自由な発想。それこそが2010年型ロックのあるべき姿。変化することを否定したら、そのものの進化は止まってしまうものだから。
M「あのぉー、もうそういうのやめませんか?ロックとかネオアコとか、あっちと  かこっちとか・・・」
T「あー、僕達の本質の違いの話ね。それは、だめだよ。」
M「えっ?なんでですか?」
T「だって、それがなくなったら、切磋琢磨するロックの本質が見えなくなるし、  面白くない。違いがあるから良さもわかるってものでしょ?」
M「そうすか!いやー意外と深いっすね。」
T「いや、ただの思いつきさ!」
(TEXT BY HIROYUKI TAKADA. BGM – RIDE / NOWHERE)

2011/03/02 [水] | 18:03 | Relay Column

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2009/02/13 [金] | 23:39 | Column B


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